氷に刻まれた匠の技!
丸氷のルーツを求めて。<後編>

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氷に刻まれた匠の技!
丸氷のルーツを求めて。<後編>

#Pick up

坂井正義さん by「ラ・アンドレ」

新潟の名店、「はまゆう」にて生まれた荒削りの丸氷。溶けにくさだけを求めて削られた氷はいつしか、グラスの中に描かれる粋な演出の一つとしてさらに進化を遂げていく。

文:Ryoko Kuraishi

華麗な動きはクラシックバレエのレッスンの賜物。「手の動き、目線の配り方などバーテンディングの参考になります」

新潟の名店「はまゆう」で丸氷を生み出した和田真明さん。
和田さんのもとで腕を磨き、いまや「はまゆう」のチーフバーテンダーとなった坂井正義さん。
坂井さんはカクテルを作るセンスでも氷を削る技術でも常に和田さんをライバル視しており、負けたくないという一心で研鑽に励んでいた。


「僕も若かったから和田さんにはいつも反発してね(笑)。
和田さんは勉強熱心な人で、あちこち食べ歩いたり飲みにいったりしていました。
それには負けられないからって、政治、経済、あらゆる分野の本をとにかく読みあさったものです。
大卒だけあって和田さんは頭がよかったから、僕もどんな会話にもついていけるだけの知識を持たなくちゃ、ってね」


師弟関係にありよきライバルだった二人だが、坂井さんが「はまゆう」を独立して「ラ・アンドレ」を開業したことにより二人の関係も変わってくる。


「ライバルだと思っていたから和田さんの一言一句に反発していたけれど、僕も自分なりにスキルを磨き自分の腕に自信や誇りを持つようになって、ライバル意識がなくなったんです。
何かの折りにはやりとりしていたけれど、お互いに自分の店があるから以前ほど頻繁に行き来もしなくなっていったな」

坂井さんの自慢の創作おつまみ。自家菜園の大根を花モチーフにカット、イチジクの甘露煮とクリームチーズをあしらい、梨のワイン煮を添えて。

自らの城を構えて自分なりの道を進み始めた坂井さん。
坂井さんももともと手先が器用なうえに凝り性なうえ、見習い時代から氷を削り続けたおかげもあって、カービング技術が身についた。
カクテルにあしらうガーニッシュの細工も、より手の込んだ凝ったものに。
そうした技術が認められ、「ラ・アンドレ」をオープンした同じ年、第6会全国バーテンダー技能競技大会のフルーツ部門およびトロピカルカクテル部門で第一位に輝いたこともある。


とにもかくにも、坂井さんの技術と凝り性が相まって、「ラ・アンドレ」では氷の造形も徐々に進化していった。
角を落とすだけではなく、酒を注ぐグラスの形状にしたがって加工する。
ときに楕円形に、あるいはダイヤモンド型に。
隕石のようにごつごつしていた丸氷は美しい球形に、表面も術らかに磨くようになった。


「もともと花街として栄えていた新潟には他都市と比べてもバー文化が発達していて、たくさんのバーや飲み屋があるからね。
酔客はだいたい3軒、4軒とハシゴするんだけどさ、とくにこのあたり(古町一帯)は小さな路地にいくつのも飲み屋が並んでいるから、自分がどこで飲んでいたのかわからなくなっちゃうの。
そんなお客さんの記憶に少しでも留めてもらえるよう、他とは違った演出を施すようになった。
それが氷やガーニッシュの細工につながる訳です」

フルーツカービングの技を駆使したガーニッシュも坂井さんの得意技だ。

とはいえ、当時はスナックが大ブームだった時代だ。
カウンターにはバーテンダーの代わりに水割りを作り、接客する女性が立っていた。
使う氷はもちろん、製氷機で作ったものをそのまま。
坂井さんの丸氷や凝ったガーニッシュが注目を浴びることはなかった。


丸氷の存在が一気に広まったと感じたのは、80年代に巷を席巻したカクテル・ブームがきっかけだった、と坂井さんは回想する。


「トム・クルーズの映画『カクテル』もブームになったし、夜の世界にバーやバーテンダーの世界が戻ってきた。
それにともなってカクテル・コンペのようなものも定着し、カクテルのプレゼンテーションが再評価されるようになったんでしょう。


そんななかで丸氷というものが脚光を浴びたんじゃないかな。
そのころまでは僕たちにとってはただの丸い氷でしかなく、『和田氷』と呼ばれているなんて思いもしなかったからね」

高級料亭や割烹が点在する、風情ある古町。「ラ・アンドレ」はここに開業して34年の古株だ。

さて、そんなときに当の和田さんはどうしていたかというと….。


「和田さんは残念ながら53歳の若さで、持病が悪化して亡くなりました。
亡くなる直前までいつもの通りに店に出ていましたよ。
わずか5分の距離を40分かけて休み休み歩いていて、それこそ這うように店に通っていました。
亡くなる一週間前、たまたま和田さんの店に顔を出したら、なぜだか急に『坂井くん、ありがとう』って言われましてね。


その話を当時の『はまゆう』のママと話していたら、『あんたがいたから気が休まったんじゃない』って言われて、なんだか感慨深かったですね。
頑固で怒りっぽくて、気難しい人でしたから、和田さんは」

数少ない、和田さんとのツーショット写真の一枚。50年ほどまえに撮影されたもの。

さて、和田さん亡きあと、丸氷の継承者である坂井さんは新潟ならではの遊びを次世代に引き継ぐべく、現役で活躍中だ。
カクテル技能競技大会での指導員の経歴やカクテルコンクール世界大会で審査員を務めた経験を生かし、積極的に後進の指導にもあたっている。


また地元・古町を盛り上げるためとして最近立ち上がった期間限定イベント、「古町花街ぶらり酒」にも継続して参加中。
これは伝統的な花街の風情が味わえる古町をぶらりと散策しながら、参加店の「ぶらり酒限定セット(自慢のひと皿+ドリンク)」をチケット制で楽しむというイベントなんだとか。
会期中はご近所さんみんなで街を掃除し、竹とりに行って伝統の竹灯籠を手作りして街角に飾るなど、コミュニティに根づいた活動に熱心に取り組んでいる。


和田さんのアイデアを、坂井さんが洗練させた日本の丸氷。
「こうやって『新潟丸氷』として取り上げてもらって、新潟の酒文化に注目してもらえたら何より」と坂井さんは言う。


「和田さん自身はこんな風に丸氷がスタンダードになるなんて、生前は考えたこともなかったと思いますよ。
でもそれでいい。
アイデアの原型を親方が考え、弟子がそれに手を加えて発展させる。
僕も自分ができること、伝えられることを精一杯、次の世代、また次の世代に伝えていくだけです」

SHOP INFORMATION

ラ・アンドレ
新潟県新潟市中央区古町9番町1477 アルバナインビル2階
TEL:025-224-8786
URL:http://www.andore.info/

SPECIAL FEATURE特別取材