大震災の傷を越えて。
メキシコシティの秘密のバーへ
<前編>

INTERVIEWバーテンダーインタビュー

大震災の傷を越えて。
メキシコシティの秘密のバーへ
<前編>

#Interview

Ismael Martínez “El Pollo” by「HANKY PANKY」

2017年9月に発生したメキシコ中部地震は、メキシコ全土、特にメキシコシティに大きな被害をもたらした。そんななかでも、たくましく営業を続け、世界的にも評価を高めている会員制バーへ。

文:Miho Nagaya(メキシコシティ在住)

All Photos by Pablo Casacuevas

そのバーの噂は、いろんなところから聞いていた。

それも信頼できる(バーには手厳しい)友人たちが勧めてくる。

「すごく面白い場所にあるんだ。看板もなくて、紹介がないと入れない。とっつきにくい店構えだけど、行けばきっと満足するよ」と。

その名はHANKY PANKY(ハンキーパンキー)。

イギリスの権威ある飲料雑誌『ドリンクス インターナショナル』によるWorld's Best 50 Barsでは、100位以内のリストも紹介されるのだが、同バーは2016年にオープンしたばかりだというのに、2017年版に初登場で、いきなり75位に選ばれた。

禁酒法時代のアメリカに存在したもぐり酒場“スピークイージー”をコンセプトにしているため、住所は明かしていない。

人口2000万人の大都市、メキシコシティのどこかにある、とだけ告げておこう。

取材を行ったのは、2017年12月のはじめ。

9月19日にマグニチュード7.1のメキシコ中部地震が起こってから3カ月経ち、被害の大きかったメキシコシティが、ようやく活気を取り戻してきた頃だった。

HANKY PANKYの周囲にも、崩壊しそうな建物が目立ち、立ち入り禁止になっている区域もある。

こんな状況で、バーへ出向く人などいるのだろうか、と思いながら、HANKY PANKYへ通じる秘密の重いドアを開く。

その瞬間、目に入ったのは、ビンテージ調で重厚なインテリアのバーだった。

まるで過去にタイムスリップしたかのようだ。

「ようこそ、HANKY PANKYへ」

ヘッドバーマンのイスマエル・マルティネス(Ismael Martínez)、通称“ポジョ(El Pollo)”が出迎えてくれた。

顔の横にカクテルグラスの小さなタトゥーが入っている。

見るからにやんちゃで、頼りがいのある兄貴という感じだ。

「カクテルの創成期に敬意を表し、アメリカ禁酒法時代のクラシカルなバーをコンセプトにしている。 店の名前のHANKY PANKYはクラシックカクテルのひとつ。イギリスのサボイホテルのアメリカンバーで、世界で最初の女性バーテンダーが生み出したカクテルなんだ。当バーに欠かせない基本のカクテルでもあり、季節ごとに材料を微妙に変えて提供しているよ」

40席のバーは、ほどよい広さを保ち、座ってゆっくりとカクテルを楽しめそうだ。

メキシコによくありがちな、酒を浴びるほど飲むためのバーとは違う。

「パーティでどんちゃん騒ぎするのではなく、カクテルをじっくり味わい、会話を楽しむ。そういうバーを目指したんだ」

ポジョのバーテンダー歴はわずか6年というから驚くが、その実力はお墨付き。

最近では、メキシコシティの有名バーMaison Artemisiaで毎年開催される、バーテンダー競合ルチャリブレ(メキシコのマスクプロレス)、Lucha Libre de Bartendersにてチャンピオンになったばかりだ。

これは、有名無名を問わず、メキシコのバーテンダーたちが参加し、数ヶ月にわたってトーナメントを行うもの。

マスクを被り、顔を隠してカクテルメイキングを競うため、審査員は偏見なく、評価を下せる。

いわば実力のある者だけが生き残るバーテンダーコンペティション。

そこでトップに輝いたポジョは、メキシコバーシーンの風雲児といっても過言ではない。

「僕はメキシコシティ北部のクアテペック・デ・モレーロスで生まれ育った。犯罪率が高く、危険といわれる地区。だから、小さな頃から自分の身を自分で守らないといけなかった。5人兄弟で、子どもたちは分担して家事を手伝った。食事の用意の時、僕は飲み物をサーブする担当だったんだ」

「いつも飲み物をつくっては、こぼしてばかりいたから、迷惑をかけていたわけだけど、そのおかげで飲料業界にはなんとなく興味があった。で、ある日友人から誘われて、カフェで働くことに。カプチーノ、マキアート、ラテアートが得意だった。人々に丁寧に作ったドリンクを喜んでもらえるのは、子どもの頃と同じでうれしかったよ」

いくつかのカフェで働いた後に、あるバーからバーテンダーアシスタントの誘いがあった。

「ここでカクテルに興味を持ち、毎日2つのカクテルのレシピを、その場で観察して覚えた。もちろん家に帰ってからも実践し、日々カクテルを学んでいった」

メキシコでバーテンダーとして認められるには、その店のバックバーで最低半年以上の経験が必要だ。

しかし働いて1ヶ月後に、チャンスが訪れた。

「その夜、先輩バーテンダーがあまりにも酔っぱらってしまって、誰もドリンクを提供できない状況になった。でも、お客さんはたくさんいる。だから、僕がカクテルを作るはめになった(笑)」

「店長がそれを見て『バーテンダーでもないのにドリンクを作るな』と注意した。そうしたらウェイターが『誰も文句をいってないし、みんな喜んで飲んでいる』と言い返してくれた。店長は信じられないという顔をして、僕に4種類のカクテルのレシピを聞いてきた。もちろん、すべて即答。その日から、僕は正式にバーテンダーとなったんだ」

大箱だったそのバーは、毎晩多くのゲストが訪れ、とにかく回転が速かった。

いかに効率良くオペレーションするかを考え抜くことで、ひとつの動作を1秒短縮するだけでも、結果に大きな違いが出たという。

ポジョがバーテンダーになった2010年頃は、メキシコのバー業界にも海外のミクソロジーの影響を受けたレシピが登場するようになった時期だった。

「赤ワイン、醤油、アボカド、さまざまな野菜や果物、スパイスなどを取り入れたレシピに衝撃を受けた。シロップやジュースなど、すべて自家製でバーの個性を出す、いわゆるカクテルバーに興味を持ったんだ」

ポジョはメキシコシティのコンデサ地区にあるFelinaというバーで働くことに。

「カクテルの味や香り、バーの雰囲気もだけど、バーテンダーがどのように華麗にサーブするのかが重要だと考えている。就業時間より1時間早めに出勤して、毎日バースプーンの練習を重ねたよ」

その後しばらくして、HANKY PANKYからの誘いがあった。

「HANKY PANKYで働いて1年。最初は、以前のヘッドバーマンからの転換期ということもあって、少し難しかったけれど、なんとかいろんな部分を改善できたと思う。 だからこそ、World's Best 50 Barsで75位になれた」

「これに甘んじることなく、次回は50位以内を目指したい。今年は14位にLimantour(リマントゥール)、61位にFifty Mils(フィフティ・ミルス)、そしてウチと、3つのメキシコのバーが100位以内に入っているのは誇らしい。僕たちメキシコのバーテンダーは競合相手というよりも、仲間として切磋琢磨してきた。お互いのレベルを上げるためにも、その心意気が重要なんだ」

SHOP INFORMATION

HANKY PANKY
Somewhere in Mexico City
TEL:01 55 9155 0958

SPECIAL FEATURE特別取材