「レミーマルタン バーテンダー タレント コンペティション ジャパン2022」

SPECIAL FEATURE特別取材

「レミーマルタン バーテンダー タレント コンペティション ジャパン2022」
[vol.04] - 「なぜ今、サイドカーなのか!?」というDrink Planet的考察。

#Special Feature

文:Drink Planet編集部

RMBTC日本大会ファイナルで実技審査の課題となったのは、オリジナル・サイドカーを創作するチャレンジ。そこで、100年を超えて愛されてきたサイドカーの歴史や変遷を紐解きながら、「なぜ今、サイドカーなのか!?」を考えてみました。

サイドカーの祖先「ブランデー・クラスタ」。

多くのクラシックカクテルと同じように、サイドカーもその発祥や歴史に関して「諸説あり」のカクテルと言えます。

諸説あることを承知のうえで、まずはサイドカーの魅力を知るために、その歴史を見ていきましょう。

サイドカーのルーツとされているのが「ブランデー・クラスタ(the Brandy Crusta)」という超クラシックカクテル。

1800年代半ばに活躍したジョセフ・サンティーニ(Joseph Santini)という伝説のバーテンダーが、ニューオリンズの酒場「ジュエル・オブ・ザ・サウス(Jewel of the South)」で考案したドリンクです(もちろん諸説あり!)。

この「ブランデー・クラスタ」はブランデー、オレンジキュラソー、レモンジュース、シュガーシロップ、ビターズをブレンドし、それをリム(縁)にたっぷりと砂糖をまぶしたグラスに注ぎ、レモンの皮半分を飾ったものです。

いわゆる現代のサイドカーに比べると、見た目も味わいも派手で甘め、といった感じ。

1862年に刊行された、かのジェリー・トーマスの『BAR-TENDERS GUIDE』にもサンティーニによる「ブランデー・クラスタ」のレシピが掲載されています。

欧米でスノースタイルのサイドカーを出すバーテンダーがいるのは、この頃の名残といえるかもしれません。

「Harry’s New York Bar」のハリー・マッケルホーン。instagram@harrysbar_theoriginal

「Harry’s New York Bar」のハリー・マッケルホーン。instagram@harrysbar_theoriginal

サイドカーの発祥には諸説あり過ぎ!

この「ブランデー・クラスタ」のレシピが大西洋を渡ったのは、アメリカの禁酒法時代(1920~33年)、あるいは禁酒法施行よりもっと以前から伝わっていた、という説もあります。

いずれにせよ第一次世界大戦のどさくさや禁酒法時代の迫害から逃れてきたアメリカ人バーテンダーが、ロンドンやパリのバーシーンに持ち込んだのではないかと推測されています。

サイドカーの発祥にはいくつかの有力な説があります。

そのいくつかをご紹介しましょう。

まずは1922年にサイドカーのレシピが初めて印刷物に掲載されました。

パリにある「Harry’s New York Bar」のオーナーバーテンダーであるハリー・マッケルホーン(Harry McElhone)が、自身の著書『Harry’s ABCs of Mixing Cocktails』の中でレシピを紹介しています。

一方で1923年に、ホテル リッツ「Le Petit Bar(現在は『Hemingway Bar』として有名)」のフランク・マイヤー(Frank Meier)が初めてサイドカーをシェイクしたと主張する者もいます。

あるいは、1919年に出版されたマッケルホーンの著書旧版では、サイドカーの発明者はロンドンの「Buck’s Club」のバーテンダー、パット・マクギャリー(Pat MacGarry)であると記載されているのです。

(ややこしい~!)

とりあえずまとめると、1910年代(もしくはそれ以前)にアメリカから「ブランデー・クラスタ」のレシピが持ち込まれ、1920年前後にロンドンやパリで洗練されたレシピの「サイドカー」へと改良され、ロンドンやパリに駐留するアメリカ人将校たちの間で人気を博した、ということになるのでしょうか……。

サイドカーの全盛期はジャズ・エイジ!

ここでちょっと時代を遡ります。

1875年には、フランスのコアントロー社が世界初のトリプルセックとなる「コアントロー」を発売しました。

「ブランデー・クラスタ」がヨーロッパに持ち込まれる前の話であり、もちろんサイドカーが発明される以前のことです。

というワケで、コアントローは現在でもトリプルセック(オレンジキュラソー)の代名詞であり、すぐれたサイドカーには欠かせない存在となっているのです。

話をサイドカーの歴史に戻しましょう。

サイドカーの全盛期は、ジャズ・エイジと禁酒法時代とが重なった1920~30年代。

当時パリに出入りしていた若いアメリカ人作家たち、たとえばアーネスト・ヘミングウェイやF・スコット・フィッツジェラルド、ヘンリー・ミラーなどが、サイドカーを気に入って飲んでいたと言われています。

特に有名なのが、ご存じヘミングウェイ。

彼は前述したパリのお気に入りの店「Harry’s New York Bar」や「Le Petit Bar」でサイドカーを嗜み、「Harry’s New York Bar」ついては「飲む価値があるのはサイドカーだけだ」という記述を残しているほどです。

フランス式? それとも英国式?

先ほど紹介したハリー・マッケルホーンの『Harry’s ABCs of Mixing Cocktails』でのサイドカーのレシピは、コニャック、コアントロー、レモンジュースを同量ずつ使用するというものでした。

同じ1922年に出版されたロバート・ベルメール(Robert Vermeire)の『Cocktails and How to Mix Them』でも、同様のレシピが紹介されています。

コニャック、コアントロー、レモンジュースが1:1:1のレシピは「フランス式」と呼ばれるように。

一方、1930年にロンドンで編纂された『The Savoy Cocktail Book』では、コニャック2に対してコアントローとレモンジュースを1ずつ使うサイドカーのレシピが掲載されています。

コニャック、コアントロー、レモンジュースを2:1:1で使用するこのレシピは「英国式」と呼ばれ、現代のサイドカーのほとんどはこれをアレンジしたものです。

そう、日本で多く知られているサイドカーもこの「英国式」がルーツとなっているのです。

RMTCで披露されたオリジナル・サイドカーの一部。

RMTCで披露されたオリジナル・サイドカーの一部。

100年進化し続けるモダン・クラシック!

サイドカーはその後、ウオッカベースの「バラライカ」やラムベースの「XYZ」、あるいはテキーラとライムジュースによる「マルガリータ」などへと派生していきます。

ディスコ・エイジ(日本でいうバブル期!)の1980年代には、サイドカーがウオッカとクランベリージュースによる「コスモポリタン」へと進化し、一世を風靡!

1990年代には、コスモポリタンはさらにカランの香りを纏って「メトロポリタン」へとツイストされました。

まさに、その可能性は無限大です。

奇しくも2023年の今年は、ホテル リッツ「Le Petit Bar」のフランク・マイヤー(Frank Meier)が初めてサイドカーをシェイクした年から100周年(もちろん諸説ありますが……)。

少なくとも2020年代は、サイドカー発祥100周年のメモリアルディケイドと呼んでもいいのかも。

さらには来たる2024年は、サイドカーのベースとして親しまれているレミーマルタンの創業300周年!

世界的にサイドカーが注目されている今こそ、改めてサイドカーといカクテルを見つめ直してみる時なのかもしれません。

RMBTCはその絶好の機会です!

「「レミーマルタン バーテンダー タレント コンペティション ジャパン2022」」の写真ギャラリー

藤倉正法さんのオリジナル・サイドカー「RM 3-wheeler」

藤倉正法さんのオリジナル・サイドカー「RM 3-wheeler」

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