日本にわずか5軒のみ。
幻の天然氷を求めて。<後編>

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日本にわずか5軒のみ。
幻の天然氷を求めて。<後編>

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吉新昌夫さん by「Free Style Dining Bar SOBA」

世界中のトップバーテンダーから注目を集める日本の高度な製氷技術。そのルーツをひも解くと、古くから伝わる天然氷に行きつく。栃木県日光市の山あいに、今なお天然氷をつくり続ける仕事人を訪ねた。

文:Teppei Wakayanagi

ここで日本の製氷の歴史を簡単に振り返ってみたい。菊池健太氏が著した『天然氷の歴史と今』によると、「日本書紀」や「枕草子」にも天然氷の記述が見られるという。またそれ以後の時代にも、天然氷は貴族や将軍などの有力者たちに献上された。当時の氷は、今のような天然氷とは異なり、雪を押し固めた「雪氷」のようなものだったと推測されている。幕末となり横浜や長崎などが開港すると、外国人が食べる肉やチーズなどの保存のために氷が必要となった。そのため天然氷の採氷が盛んになり、明治期の夏場には氷売りの行商人もあらわれた。

そんななか、松月氷室は明治27年に創業した。当時は冷蔵庫のない時代。天然氷は食品の保存や輸送にはもちろん、医療用として病院などで重宝された。

「池を見てもらえばわかるように、まわりを取り囲む石垣なんかは当時のまま。車もショベルカーもない時代に、よくこんなものをつくったなと感心しますよ」

大正期に入ると、機械による製氷技術が発達したが、まだまだ機械製の氷のほうが高くついた。大正13年当時の天然氷採氷事業者数をみると、実に500軒以上もある。ところが現在、天然氷をつくるのは全国でわずかに5軒。埼玉県長瀞に1軒、長野県軽井沢に1軒、そして栃木県日光に3軒が残るのみだ。

「仕事がキツいんで、なかなか後継者が育たない。オレだって、何回もやめようと思ったくらいだし……。でも今は天然氷ということで注目される部分もあるし、日本の伝統文化を残さなくてはという思いも少なからずありますね」

松月氷室は、白沢池と芳ヶ沢池という2つの氷池を持っている。1回の採氷で、前者は1枚50㎏の氷板が2,400枚、後者は2,100枚採れる。通常、採氷は年2回。つまり1年で9,000枚、約450トンの天然氷を生産する。これで一年分の出荷をまかなうことになる。

天然氷づくりの工程を説明すると、まず11月下旬頃より氷池の清掃がはじまる。何度も池をかき混ぜては、水とともに枯葉や不純物を流していく。また12月に入り池が実際に凍りはじめても、最初のうちの氷は不純物が混じるためにすべて捨ててしまう。年末年始、西高東低の冬型の気圧配置が安定してくると、いよいよ本格的な天然氷づくりとなる。1日に凍るのは、厚さにして1cmほど。理想的な氷の厚さが14~15cmというから、切り出しまでは最低でも2週間近くかかる。

「少しずつじっくりと凍るのが、天然氷の特徴。そのぶん融けにくく、ギュッとしまった密度の濃い氷になるんです」

切り出しの際は、家族総出はもちろん、人材センターなどから人を雇って作業を行う。切り出しには電動カッターを使用するものの、その他の作業はほぼ人力。切り出した約50kgの氷板を、鳶口(とびぐち)と呼ばれる道具と竹のはしごを使って、伝統的な保冷庫「氷室」の中へと運び入れる。氷板を何層にも積み上げ、周囲に保冷用の氷をあてがい、さらに全体を日光杉のおがくずで覆っていく。こうまでしても、出荷までに全体の2〜3割は融けてしまうという。なかなか後継者が育たないというのも頷ける、大変な作業だ。

天然氷の多くは近隣の旅館やホテルに卸しているほか、春から秋にかけては店頭でかき氷として販売している。実際に天然氷のかき氷をいただくと「今まで食べてきたかき氷は何だったのか」と思わせるほど美味。食感はふわりとして、ガリガリした感じがまったくない。氷というより、雪を食べている感覚に近い。そのうえ、氷自体にほんのりとした甘さと自然のミネラル感を感じる。結局、冬場にもかかわらず完食。シロップの代わりに、リキュールやウイスキーをかけるだけで新しいカクテルになりそうな印象を受けた。

さて吉新さんからの紹介を受け、同じ日光市で天然氷を使用しているというダイニングバー「SOBA」にもお邪魔した。昨年3月のオープンにあたり、オーナーの菅田稔晃さんは、吉新さんの天然氷と機械式の氷を飲み比べてみたという。ちなみに菅田さんは、昼間はそば職人として働き、水の良し悪しについては厳しい舌を持っている。

「単純に天然氷のほうがうまかったんですよ。融けにくいですし、フローズンにしても独特のコシがでます。それと光に当ててみた時に、光の入り方がひとつひとつ微妙に違って、手づくり感というか、天然ならではのぬくもりがあるんです。もちろんお客さまにもご好評いただいています」

吉新さんの目下の悩みは地球温暖化による天候不順。昨年はその影響により、1回しか採氷できなかったと語る。

「天然のものなので、天候に大きく左右されるし、大量生産にも向いていない。だからなかなか全国に卸すという訳にはいきません。でも天然氷に興味をお持ちのバーテンダーさんなら、まずは一度ウチのかき氷を食べてに来てもらいたいですね。きっと新しい発見があると思いますよ」

Free Style Dining Bar SOBA
栃木県日光市今市本町11-4
TEL:0288-22-8776

SPECIAL FEATURE特別取材