知られざる素顔に迫る!
SHOKOが語るNow & Then
<後編>

PICK UPピックアップ

知られざる素顔に迫る!
SHOKOが語るNow & Then
<後編>

#Pick up

SHOKOさん

さまざまな障害を乗り越えて、パフォーマーとして日々、進化を続けるSHOKOさん。いつだって前向きな気持ちを持ち続けるSHOKOさんの、フレアとショーに込められた強い想いとは?

文:Ryoko Kuraishi

今も昔も変わらず、SHOKOさんがいちばんこだわっているのはダンスやマジック、パントマイムも取り入れるSHOKOオリジナルのショーだ。


SHOKOさんが自らストーリー、構成、演出、衣装までを手がけている。
彼女が実際に経験した思い出やかつて見た夢、日常のワンシーンをイメージソースに書き起こした物語に沿ってショーは進む。
たとえばブロードウェーのステージを夢見る少女が主人公の物語、メイド風の衣装からフレアバーテンダーへ、早着替えを用いて描くウェイトレスのストーリー。
もはやフレアバーテンダーというよりも、フレアの技をも用いるパフォーマーというほうが、現在の彼女の表現方法を言い表しているかもしれない。


「素晴らしいフレアバーテンダーがたくさんいるし、そういう方々と協力してフレアバーテンディングをもっともっと広めていきたいと思っていますが、そのためにはまず、フレアバーテンダーが活躍するステージを作っていかなくちゃいけない。
だからこそフレアがどういうものかを多くの人に伝えていきたいと考えているんです。
そのためにはたくさんの要素を織り込んだ、現在のショーの形式の方が自分にとって効果的な気がするんですね」

今年の夏、フランスで開催された「ヨーロピアン・ジャグリング・コンベンション」に参加した。

だが、それでもフレアにこだわるのはかつて、いちばん辛かった日々を乗り越えられたのはフレアのおかげ、という気持ちがあるかだそう。
SHOKOさんの夢を応援してくれていた、最大の理解者にして最愛の母親は、彼女が22歳のときに病に伏してしまった。


すでに都内のバーレストランで働き始めていたが、少しでも長く一緒にいたいから、SHOKOさんと父親は母親を自宅で介護する道を選んだ。
その日からSHOKOさんの介護とフレアに明け暮れる毎日が始まる。
「平日は朝4時に起きて母を看ながらフレアの練習。
夕方、父が帰宅すると実家に作った練習部屋にこもりひたすらボトルを投げていました。
土日は上京してお店に出て。
20代らしい青春は無かったけれど、母に笑顔でいてほしいからいつもバカなことばかり言って笑って、大変だったけど充実していたんです。
その分、母が亡くなったときには気持ちの持っていきどころがなくなってしまった」


「考えてみたら母ではなく、私が母との時間を必要としていたんですよね」と当時を振り返るSHOKOさん。
「母と過ごした時間は私の全力だったけれど、母がまだ元気だったうちにもっといろいろ出かければよかった」と、悔やんでも悔やみきれなかったそう。

同じく「ヨーロピアン・ジャグリング・コンベンション」にて。ヨーロッパ中から集まったジャグラー、パフォーマーに大いに刺激を受けた。

そうした悲しみを紛らわすために、一日も早く元気になって大好きな父親を安心させるために、彼女はますますフレアの練習に没頭した。
「気を抜くと母のことを思い出してしまうから、とにかくボトルを投げて、投げて、投げ続けました。
1日20時間近く練習していたこともあった。
フレアの練習をしている間は、何も考えずにすんだから」


昼はひたすら練習、夜は複数のバーを掛け持ちして腕を磨いた。
そんな猛練習の甲斐あってか、2009年にグラムで開かれた世界大会で優勝。
いつしか悲しみから逃げるためではなく、ポジティブにフレアと向き合えるようになっていたという。
「それはやっぱり北條(智之)さんほか、フレアの表舞台で私を支えてくれる人がいたから。
フレアを教えてくれただけじゃなく、ステージに臨むために心を強くしてくれたっていつも感謝しています」


苦しい年月を乗り越え、周囲の理解やサポートに支えられ、SHOKOさんは目標とする海外のステージに挑むため、少しずつ前に進んでいる。

オーディションの結果、勝ち取った「ヨーロピアン・ジャグリング・コンベンション」のステージ。たくさんの観客の前でパフォーマンスを行った。

今年の夏はフランスで開催された欧州最大規模のジャグリング・フェスティバル、「ヨーロピアン・ジャグリング・コンベンション」に参加した。
シルク・ドゥ・ソレイユに出演しているパフォーマーのショーも行われるなど、ヨーロッパ中から一流のジャグラー、パフォーマーが集う大会だ。


ここでSHOKOさんは一パフォーマーとしてオーディションに挑戦、見事合格し、大勢の観衆の前でパフォーマンスを行えることになった。
「久々に膝が震えるくらい緊張するステージでした(笑)。
まず観客の数が違う。
おまけにその観客といったら、目の肥えたヨーロッパのジャグラーがほとんどですから」


夕暮れごろに行われた、たった数分のショー。
日本から参加してステージに立った、無名の「SHOKO」という女性パフォーマーはヨーロッパの観客から大歓声を得たのだった。

常に次のステージに向けたいくつものアイデアを膨らますSHOKOさん。彼女の生のステージを、ぜひ体験してみよう。

「パフォーマーとしては、ステージに立ったからには言葉を使わずに観客へメッセージを伝えたいっていつも思っていました。
あの時の出来はまだまだ満足のいくレベルではなかったけれど、情感豊かな動きがあれば言葉はいらない、たとえ言葉の通じない人でも赤ちゃんでも老人でも、動き一つで喜ばせることができるんだって。
たくさんの人から歓声をいただいて、あらためて感じさせられたステージでした」


かつては「シルク・ドゥ・ソレイユの舞台に立ちたい」と話していたSHOKOさんだが、いまは自らが手がけるステージをより洗練させ、いずれは海外へ……と目標を立てている。


「まだまだ未熟で技術も人間性も足りない私ですが、フレアバーテンダーを目指す人たちに伝えたいのは、技術だけでなく人としての成長が一流のパフォーマーには必要だってこと。


私よりもっと悲しい経験をした方はたくさんいると思うんですが、その方達には自分がちゃんと生きていけば、いずれはその経験もポジティブなものとして自分の中で糧になるってことを伝えていきたい。


伝えたいメッセージがある限り、私はステージに立ち続けると思うし、パフォーマーとしてアーティストとして常に挑戦し続けていけきたいと思っています。
今まで私を支えてくれた方々、チャンスを下さった方、大好きな両親や仲間、そしてフレアを目指す人たちへ、それが私なりの恩返しになると思うんです」

SPECIAL FEATURE特別取材