いまあらためて考える、
「銀座」のアイデンティティとは?
<前編>

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稲田春夫さん(バー藤山) by「バー藤山」

世界に名だたる銀座の街で、バーテンダー一筋に生きてきた稲田春夫さん。60年もの間、カウンターの向こうから見つめてきた「銀座バーテンダー」の有り様や生き方を今宵、赤裸々に語っていただこう。

文:Ryoko Kuraishi

現在は週に4日、「バー藤山」のカウンターに立ちつつ、船上バーテンダーとしてクルーズ船に乗り込むことも。

銀座。
日本が世界に誇る、名だたるバーの街。
ここには世界でも最大数のバーが点在し、その歴史は100年前に遡る。
モボ・モガが集った大正〜昭和初期のカフェ文化から、やがてバー文化へ。
戦前戦後には文化人のたまり場として大いに賑わったことはご存知だろう。


今回は銀座に息づく古きよきバー文化と、その継承についてお話を伺おう。
ご登場いただくのはバーテンダー歴60年を迎えた「銀座の重鎮」こと、稲田春夫さんである。
銀座でバーテンダーとして腕を奮ったのち、全日本バーテンダー協会(ANBA、後のNBAの前身)の設立に携わり、長くその活動に尽力された。
協会を退任した後はバーテンダーとして再び銀座に戻り、いまなお現役でカウンターに立ち続けている。


「時代によってカクテルや道具が変わるように、バー文化だって変わっているでしょ」と稲田さん。
生粋の「銀座のバーテンダー」であり、名だたるバーが集まる銀座で生きてきたことを誇りに思っている。
「まずね、変化は悪いものじゃないです。
バーテンダーの仕事でいえば、ブレンダーなんて70年代に入って初めて解禁されたもの。
それまではアイスクラッシャーさえ無かったんだから。
いつまでも昔のままがいいわけじゃない。
社会情勢や時代に則して銀座での『生き方』だって変わっていく。
そういうものです」

昨年、帝国ホテルの宴会場で盛大に開かれた、稲田さんの「バーテンダー稲田春夫の60年を祝う会」。およそ500人ほどが集まったそう。トップの画像は、同会にて愛弟子である高坂壮一さんと。

稲田さんと銀座の関わりは昭和27年に遡る。
上京して、稲田さんいわく「食べるために」新橋のキャバレーに勤めていたが、ほどなく銀座7丁目のクラブへ移ることになった。
新橋では主任を務めていたが、銀座ではボーイとしての入店。
「やはり銀座は違うのだ」とは、当時の雑感だ。
「何が違うって客層が違う。同じお客さんでも銀座に来ると物腰、態度が全然変わりますから。
当時から銀座は、飲み方も食べ方も違う遊び方ができる。そんなところでした」


「昔の銀座」と問われていまでも思い出すのが、当時のクリスマスの賑わいだ。
銀座5丁目から7丁目まで、並木通りは人いきれで身動きすることもできないほどだった。
勤めていた銀座のクラブも夕方5時の開店と同時に人が入り始め、5時半には満席に。
入店を待つ人の列は、エントランスから外の階段へ、そして階下にある喫茶店にまで延びたという。


その後、数件のバーを経て浅草で念願だった自らのバー「BAR いなだ」を開く。
稲田さんのバーテンダーとしての軸足は浅草に移るが、バーテンダー協会の活動を始めると浅草と銀座を頻繁に行き来するようになり、再び銀座との接点が生まれた。
そして58歳のときに三笠會館に誘われて、新たにオープンする「Bar 5517」のチーフバーテンダーに就任。
人生の後半の25年を銀座で過ごすことになる。
「そういう意味で人生の中心はやっぱり銀座にあったね。
「銀座には優秀な先輩がたくさんいて、大いに刺激を受け、学ばせてもらいました」

会の一角にはバーテンダーのとしての軌跡を物語る思い出の品を集めたコーナーも。ペナントは協会の仕事で訪れた各国大会のもの。

長く時を重ねた大切な場所だからこそ、大切にしたい「銀座」というアイデンティティ。
稲田さんが考える「いいバー」とは、バーテンダーがきっちりとした仕事をしていること。
とくに銀座のバーテンダーには、丁寧な仕事にいつまでも誇りを持ってほしいと考えている。
そしてやはり「スタンダード・カクテルを大切にしてほしい」とも。
オリジナル・カクテルもいいけれど、基本はスタンダードであるべきというのが稲田さんの持論だ。


「いまの時代はスタンダード・カクテルをきちんと習って作るという風潮が少なくなりましたね。
オリジナル・カクテルといって新しいものがどんどんできるけど、果たしてそれがどれだけ残っていくかな。
それに加えて、昔に比べるといまのカクテルは随分甘くなったなあと感じますね。
甘いのはいい、でも甘過ぎるのはだめ。
それからデコレーションだけやたら凝っている、きれいなだけのカクテルも論外。
美しいカクテルはいい、でも見た目がきれいなだけっていうのは中身が伴わないからねえ」


そもそもオリジナル・カクテルがここまで乱立するのは、行き過ぎたコンペティション至上主義の現れかと危惧を抱く。
「若いバーテンダーはみんな、勉強熱心ですよ。
でもコンペに出て優勝しないと一人前と認められないという風潮には正直、違和感を覚える。
コンペで結果を残すより、まずはきちんとした仕事をしてお客さんに認められることが先でしょ。
バーテンダーの仕事はバーのカウンターの中が基本。
その基本がコンペに生きてくるというのが本来でしょう」

2007年にはエッセイ「銀座バーテンダーからの贈り物」(パピルスあい)を上梓した。「BARいなだ」の浅草時代、銀座の思い出、バーテンダー協会のエピソードなどバーテンダーとしての反省が綴られている。

コンペには出たことがないけれど、スタンダード・カクテルを作らせたら天下一、銀座にはそんなバーテンダーが、カクテルの数だけ存在する。
みな、自らの仕事に誇りを持つ職人肌のバーテンダーたちだ。
そういうバーテンダーがいつまでも認められる、そういうバー文化が受け継がれていくのがいいと、稲田さんは話す。


「たとえば『The Bar 草間 GINZA』の草間くん(オーナーの草間常明さん)はコンペなんて出ないけれど、本当にいい仕事をします。
この『いい仕事』というのはカクテルを作る技術や知識だけでなく、人間的な魅力という観点も含まれているんですよ。
だってバーはカクテルを飲みに行くだけの場所じゃないでしょ?」


とりわけ銀座には、そういうバーテンダーこそ輝いていてほしい。
それは稲田さんほか、多くの銀座のバーテンダーの願いだろう。
銀座は「世界の銀座」、洗練された大人が集う場所。
知識や洗練されたスタイルを吸収しようと思えばいくらでも触れられる場所であるし、そういうものに敏感であってほしい。
「銀座のバーテンダーはみな、お客さんに育てられてきたんです。
技術の研鑽に励むのは大事だけれど、文芸や文化を吸収することも同じくらい大切なんじゃないですかね。
たとえばね、歌舞伎座のこけら落としだって、一体何人の若いバーテンダーが足を運んだことか」

客船「飛鳥Ⅱ」にてスタッフ、およびゲストたちと。こちらは先頃、40日かけてオーストリア、ニュージーランドを巡った旅の様子。

昨年にはバーテンダー歴60年(!)を迎えた稲田さん。
最後に、人生の大先輩にバーテンダーという仕事について思うことを語っていただいた。


「僕がこの世界に足を踏み入れたきっかけとなったのは新橋にあったキャバレーで、最初はボーイをしていました。
3カ月後にボーイから主任に昇格したんだけど、なぜ昇格できたかと言えば、僕の掃除が社長に認められたから。
ボーイの仕事はトイレ掃除と床磨きから始まるんです。
ゴム手袋なんかないから、トイレだって素手で磨きましたよ」
稲田さんは常々、「バーテンダーに必要なのは整理整頓、そして掃除」と語っている。
「手を抜こうと思えば抜けるけれど、抜いてしまえばそこまで。
整理整頓も掃除もできないようでは、バーテンダーはもちろん、どんな仕事でだって大成できないですよ」


「『BAR 5517』に関わるようなって以来、新人には2年間、掃除をひたすらやってもらいました。
酒の名前、カクテルのレシピを覚えることはもちろん、ボトルの位置は目をつぶっていてもわかるようにならなくてはいけません。
そういう基本は掃除をしながら覚えるんです。
バーテンダーには何が大切かと問われたら、私は掃除と答えます。
基本に忠実に行い、それを自分のものにすること。
本物はそこからしか生まれませんから」


その思い、「稲田」イズムは次世代にいかに引き継がれていくのか。
後編では『BAR 5517』の現・チーフバーテンダー、高坂壮一さんにご登場いただき、銀座のアイデンティティの変遷をお話しいただこう。


後編に続く。

SHOP INFORMATION

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東京都中央区銀座6-3-5
第2ソワレドビル5F
TEL:03-3573-0352

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