昼にも本格的なカクテルを!
神楽坂から始まるバー進化論。
<後編>

PICK UPピックアップ

昼にも本格的なカクテルを!
神楽坂から始まるバー進化論。
<後編>

#Pick up

新橋清さん(サンルーカル・バー) by「バー歯車」

どりぷらが注目する「昼飲み×オーセンティック・バー」スタイル、後編では同じ神楽坂界隈にありながら、サンルーカル・バーとはコンセプトも佇まいも全く異にしたバー、「歯車」をご紹介。

文:Ryoko Kuraishi

一枚板を使ったバーカウンターは、まるで能舞台のような趣だ。

アグネス・ホテルにほど近い、料亭が立ち並ぶ神楽坂の路地裏。
バー「歯車」は2007年にここにオープンした。
開業当初から午後3時開店という営業スタイルを取り入れた、オーセンティック・バーである。
前回ご紹介したサンルーカル・バーは自然光を取り入れた明るい内装だったが、こちらの店内はとにかく暗いのがユニークだ。
日があるうちに店内に足を踏み入れると何も見えなくなってしまい、店内はまるで暗闇かと見紛うほど。


暗がりに目が慣れてくると、少しずつ店内の様子が明らかになってくる。
驚くのはバックバーにボトルが一本も並んでいないこと。
ボトルどころかグラスも飾りも、なにも見当たらない。
小さな蝋燭の灯りのみが揺れるバックバーは、茶室の床の間を思わせる静謐さを醸し出す。


昼間というよりも、時間帯そのものを意識させない空間はなかなかにコンセプチュアルで、訪れる者にしばしの非日常感を味わわせてくれる。
「気鋭」というに相応しい店作りの心得を、「歯車」の濱本義人さんに伺おう。

情緒あふれる小径が迷路のように入り組む神楽坂の街は、昼と夜とで全く異なる表情を見せる。

「バーというのはお酒のみならず、美しい空間を提供する場だと僕は思うんです」と濱本さん。
「街を歩けば看板やネオンからさまざまな文言や色彩が目に飛び込んでくる。
不要な情報が多すぎるんです。
ものがない=情報をシャットアウトした静寂の心地よさを、ここでは提供したいと考えています」


視覚的情報を遮断するという効果を際立たせるよう、あえて音楽もかけない。
五感のうち視覚と聴覚を作用させないよう作り上げた空間では、嗅覚と味覚がひときわ研ぎすまされるような感覚を覚えるはずだ。
「だから余計、ストイックに思われるのかもしれませんね。
うちのバックバーはよく、『能の舞台のよう』なんて言って頂くこともあります」


バーテンダーという職業に憧れて、10代最後の年に青山の名店、「バー・ラジオ」に入店した濱本さん。
「自分が遊びに行くことはできないし、見かけほど華やかな仕事ではなかった」というバーテンダーの仕事にハマったのは、人がリラックスして息をつく場に携われることが心底、楽しいと思えたからだ。
10代後半〜20代の前半の多感な時期を、上質な遊び方を知る趣味人が集うでバーで過ごした。
その後、横浜のバーや東京のレストラン、さらに新宿の「ル・パラン」で修業を重ねて独立。
午後の早い時間から営業する、バックバーにモノを置かないなど、バーらしからぬコンセプトは、こうした修業時代のなかで長らく温めていたアイデアらしい。

ランチ後、もしくはデディナー前に訪れたとして、はてさて何をいただこう?「昼でも飲めるハードリカーとして『ミラベル』はいかがでしょう?強くても香りが華やかで、飲み口もすっきりしていますよ」¥1,500

そもそも念願の自分の店をオープンさせるにあたり、まず濱本さんが考えたのは「自分だったら、毎日通いたいのはどういう店なのか」ということだった。
「いろいろ考えたんですが、たまたま『ラジオ』の近くにあったとあるコーヒー専門店が、僕のコンセプトにとても近いと感じたんです」


1975年に青山にオープンした「大坊珈琲店」といえば、手回し焙煎機による自家焙煎と、豆の目方と抽出量を選択できるブレンド法が有名だ。
狭い階段をあがっていくと香ばしいコーヒーの香りに出迎えられる。
焙煎の煙で燻された店内、いつも変わらぬ静かな空間…。
こうした落ち着きの空間を、バーで叶えられないだろうか?


「当時から自分がいいと思うスタイルを貫こう、よそのマネはするまい、とそれだけは常に意識していました。
コーヒー専門店もそうですが、バーも時に趣味性を求められるジャンルでしょうから、いくつかある提案や選択肢の中に組み込んでいただき使ってもらえればいいんですよね。
そうした思いが、現在の店作りに通じていると思います。
こうしたコンセプトを貫くことができるのも、近隣にたくさんのいいバーがあるからこそ。
だから、ちょっと変わったうちみたいな店が続けていけるんだと思うんです」


「自分の店というのは自らの価値観を提案し世に問う場である」と濱本さんは考える。
目的もなくヨーロッパを数ヶ月かけて巡った20代の旅で、『昼間から飲む』スタイルが自分のなかでしっくりくるなと感じたという。


「ホテルのバーは早い時間から開いていることが多いですし、だったら街場のバーでも昼間から飲めるところがあってもいいんじゃないか、と。
『昼だから飲んではいけない』という既成概念を打破するようなものを提案したいという気持ちもありました。
価値観が多様化する現代にあって、昼間に開いているバーがあり、そこでは音楽もなく、静寂のひとときを持ちたいと考える少数の方が賛同してくれたらいいな、そんな風に考えたんです。
そもそもバーというマイノリティな世界でやっているものですから、さらに少数派を相手にするんだと考えてみても、少しも怖くはなかったですね(笑)」

神楽坂は石畳の路地こそが見せ場。料亭やレストラン、バーなどが佇む。

歯車とは「うまくギアをチェンジして自分の時間や生活のリズムを整えて頂く場にしたい」、そんな思いから名付けたそうだ。
そうした場であるためにはまず、シンプルで落ち着けること、そして無駄を削ぎ落としてかつ豊かであることが望ましい。
かつて、20世紀のモダニズム建築を代表する建築家、ミース・ファン・デル・ローエは、無駄を省いたミニマルなデザインを数多く発表し「Less is More」という概念を世に問うた。
ローエの言葉通り、ミニマルなデザインは普遍性を宿し、本質的な豊かさや美しさを浮き彫りにする。
「歯車」のLess is More な空間には、本質を追い求めた「居心地のよさ」があるのだ。


「とはいえ、『こうしよう、ああしよう』というこちらの提案を押し付けすぎることなく、ここにいらしてくださるお客さまが店のムードを作りあげている、そんなバーがいいと思います。
常連の方もそうでない方も、この空間にぴたりとはまって、それこそカチリと歯車が噛み合うタイミングがあるんですね。
バーカウンターという空間とそこに居合わせる人々がシンクロする、そんな瞬間がいい。
僕がお伝えしたいと思うものは年々変化していくと思いますが、そういう瞬間を大切にしていきたいと思う気持ちに変わりはありません」


今日もまた、静寂を愛する老若男女が日のある時間から神楽坂に足を向ける。
時間帯によってさまざまな層が集い、刻々とその趣きを変える気鋭のバー。
濱本さんにとっては「昼間に飲む」というコンセプトさえも、「歯車が噛み合うタイミング」をもたらすためのアイデアの一つにすぎないのかもしれない。

バー歯車
東京都新宿区若宮町16
塩谷ビル2F
TEL:03-5206-8837

SPECIAL FEATURE特別取材