信州の古都、松本が
「BARの街」と呼ばれるまで。
<後編>

PICK UPピックアップ

信州の古都、松本が
「BARの街」と呼ばれるまで。
<後編>

#Pick up

林 幸一さん by「OLD ROCK」

大会で訪れたロンドンで出合った本場のパブ文化。老若男女が集うパブで、幅広い人たちにバーの文化を伝えていきたい......。林さんが松本で次に挑んだこととは?

文:

夜になると、風流な佇まいはいっそう色濃く。歴史を感じさせるなまこ壁の建物や土蔵が立ち並ぶ。

2001年に「全国バーテンダー技能競技大会」優勝という大きな目標を達成してしまった林さん。
次に何を目指すべきなのか。
スロヴェニアの大会から帰国し日常に戻ると、そんな悩みに襲われた。
「でも結局、原点に帰ろう、自然とそんな風に考えている自分がいました」


原点とは、バーを訪れる人々に喜んでもらうこと。
バーの文化を地域に根づかせること。
そして……


「念願だった本格派アイリッシュパブの店作りに着手しました」
コンペティション参加のために訪れたロンドンで出合った、かけがえのないものたち。
それはスコットランドやアイルランドの蒸留所を巡って味わった本場の空気、イギリスのパブをまわって触れたパブ文化の片鱗だった。
「特に本場のパブでの体験は衝撃的でした。
ドアを開けた瞬間のあの賑わい、老若男女が同じ場に集まってみな笑顔で寛いでいる。
しつらえは本物で重厚なのに、なんとも居心地がよくて。
これは自分の故郷にはないものだ、どうにかしてこういう場を松本で実現できないだろうか、そんな思いをずっと抱えていました」

「マツブリ」と呼ばれ親しまれている松本のオフィシャルカクテル、「松本ブリーズ」は「OLD ROCK」でも楽しめる。地元のリンゴジュースを使い、「シーブリーズ」を松本流にアレンジ。¥800。

「MAIN BAR COAT」と同様、しつらえはすべてイギリスからコンテナで運んだ。
イギリス北部のアンティークマーケットにまでわざわざ足を運び、買い付けた家具や什器、建材だ。
実際に誰かに使われて年月を重ねたものを選んだのは、イギリスやアイルランドの暮らしに密着しているパブリックハウスの雰囲気をそのまま再現するためだ。


「MAIN BAR COAT」では接客する人数にも限りがある。
もっと多くの人と接する機会があるパブを発信の場として、異なる客層にもバー文化を伝えられるのではないか。
オーセンティックなバーにはない、パブならではの賑わいや空気感を松本で表現してみたい、そんな願いがあった。
2003年、「MAIN BAR COAT」の裏にパブ、「OLD ROCK」がオープン。
伝統的なパブ・フードにこだわり、樽生ビールのおいしさにこだわった。
今では年間10,000リットルの生ビールを売り上げるという人気店だ。


「バーは人なりと言います。
『MAIN BAR COAT』は自分の店ではありますが、ここに立つ人間が変わったら、また違った趣の店になるだろうと思います。
一方で、パブは店作りさえしっかりしていれば、自分がいなくても存続し続けられる。
イギリスやアイルランドでは1世紀の歴史をもつパブがざらにあります。
『OLD ROCK』は孫の世代まで続いていくような空間になってほしい、そんな希望をこめて本物の造作にこだわりました。
いつか『松本にはすごい歴史を持つパブがあるんだよ』、そんな風に言われる店に育っていってほしいですね」

ただのバーガイドではなく、バーでの楽しみ方をストーリー仕立てで紹介する『MATSUMOTO BAR STORY』。松本のバーで販売中、¥300。売り上げの一部が被災地の支援に。

さて、「OLD ROCK」がオープンする頃にはすっかり「バーの街」というタイトルが定着していた松本。
「確かに、松本にはとてもいいバーが何件もあります。
しつらえ、空気感……仕事柄、さまざまな地方でバーに行きますが、そのどれとも違ったムードが松本のバーにはあるんです」


城下町として栄えた歴史柄、にせものではない本物を愛する気性があり、またしっとりと落ち着いた佇まいが残るのも、首都圏とは異なる空気感が醸し出される理由なのだろう。
また松本の人々には昔から華やぎや粋を愛で、賑わいを愛し、ハイカラなものを好んで取り入れる気性があったとも言う。


観光客にとっては観光のソフトも充実しており、夜になれば手頃な値段で正統派のカクテルが楽しめ、しっとりとした酒文化を堪能できる。
土地柄ゆえの本物志向は銀座にも負けずとも劣らない大人の空間を作り出し、それぞれムードの異なるバーが徒歩圏内に十数軒も軒を連ねる。
となれば、松本のバーが脚光を浴びない訳がない。


「現在は『バーの街、松本』を目指して全国津々浦々からお客様がいらしてくださいます。
観光のついでという方もいらっしゃいますが、なかにはわざわざ飲みにいらっしゃる方も。
お気に入りの店を歩いて巡れる、そんな規模もちょうど良いようです」

本格的なパブ・フードにこだわる「OLD ROCK」。人気No.1は自慢の「ジャーマンポテト」¥690。

こうして進化しつつある松本のバー文化。
松本のバーのパイオニアのように語られることが多い林さんだが「いまのムーブメントは同じ志を持つバーテンダーの、一致団結があってこそ」という。


バーテンダー有士による地域貢献の一環として、不定期で刊行していた冊子『バーマップ』を『MATSUMOTO BAR STORY』というガイドブックにグレードアップ。
その完成披露パーティの収益と、ガイドブックの売り上げの一部を東日本大震災の被災地への支援にあてた。
「バーを含め飲食業は平和な日常があってこそ」、炊き出しのボランティアで陸前高田市に足を運んだ林さんはじめ有志たちが肌で感じたことだ。
復興にはまだまだ時間がかかるから、自分たちができることを少しずつ続けていきたい。
たとえば仙台で作るウイスキー「宮城峡」を松本のバーで積極的に販売していこう、そんな風に決めたのも長く続けられる取り組みだから。
松本のバーテンダーたちはみな、そんな熱い気持ちを持っている。


「一度足を運んでもらった方に、またいらしていただきたい。
そんな気持ちから現在でもバーテンダー同士で月に一度集まって、勉強会を行っています。
内容はお酒のことはもちろん、サービス、マナー全般について。
それからもちろん、地元のことを知らなくては他県からいらしたお客様をおもてなしできませんから、松本の魅力を伝えるべく街の歴史や文化も勉強します。
山岳都市ですし山男も少なくないですから、山の勉強もしますよ。
松本のバーなら間違いない、そんな風に言って頂くためバーテンダー同士が研鑽を重ねた結果、『バーの街』と呼んでいただけるようになったのだと自負しています」

天下の松本城を眺めながら、酔い覚ましに街を散策。ふらりと歩いて巡れる規模がいい。

現在は日本バーテンダー協会の長野県本部長を務める林さん。
自分たちの世代が変わらず切磋琢磨するのはもちろんのこと、松本全体のことを考えて若手の育成に力を注ぎたいと考えている。
若いバーテンダーたちに指導しているのは、「なぜそれをするのか、自らの行動の意味を問え」ということ。
自分が主体ではなく相手の視点に立ってものごとを考えてみれば、おのずと人に喜んでもらえる行動やサービスにつながるはず。
林さんはそんな風に考えている。
なぜなら、「地元に根づくバーにとっていちばん大切なことは、絶対に裏切らないこと」だから。
いつ行っても変わらない、足を運んだ人にとって役に立つサービスやホスピタリティがある、決してがっかりさせない。


目の前に座っている誰かのために最高の一杯を作り、とびっきりのおもてなしをする。
林さんは昔から変わらずやり続けていることの数々。
地味なようでいてそうした当たり前のことを長く続けていくことこそが、コミュニティの一員として愛される店なのではないか、そんな風に考えている。


「こんな世の中ですから、一杯のカクテルや精一杯のサービスでいらしてくださるかたを癒したり元気づけたりすることができれば。
ささやかですが、それが私たちの使命だと思っています」

OLD ROCK
長野県松本市中央2-3-20
トドリキビル1F東
TEL:0263-38-0069
URL:http://pub-oldrock.com/

SPECIAL FEATURE特別取材