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スティーブン

MYドリンク歴 パート2 ワインに出会う (前編)

10.04.28

自分にとってワインは
いまでも未知の世界。

食事と一緒にフルボディなカベルネやメルロー、
バーではフルティーなシラー、ピノ・ノワールを
嗜む程度だ。

別に「難しすぎてよくわからない」とか、
「”通”の世界で敷居が高い」とか、
そういうことではなく…

単純に、ぶどう系のお酒が苦手なんだ。
ワイン、ブランディー、シェリー酒など、
味は決して嫌いではないが、
体質的に合わないようで、翌日の頭痛がひどい。


若いころはもちろん、そんなことを考えずに飲んだのだが・・・


高校卒業後、ダニエル君に分かれを告げ(パート1を参照)、
米本土ワシントン州の南東に位置する小さな大学
「ホイットマン・カレッジ」に入学した。


ド田舎です。

「ワラワラ」という名の町なのに、
居酒屋はない。

当時のワラワラは麦畑と大きな州刑務所、
そしてホイットマン大学で知られていた。


(今はワシントン州有数のぶどう産地の一つとなったようだが)


歴史のある優秀な大学だが、規模が小さく、学生は1,000人ほど。
その9割は田舎出身の白人。


ハワイ育ちの僕からみれば、頭が、というより、周りが真っ白!


しかし、ここを選んだ理由はちゃんとあった。
高校3年の春に希望の大学を選定して、
願書を提出するのだが、
選定の条件としては:

① 西海岸にある
② 演劇の専攻があって、演劇部の評判が良い
③ 予算的に現実的なところ
④ 自分の大学進学適性試験の点数がその大学の合格ラインを越えていること

結果、願書を提出したワシントン大学(シアトル)と、
ホイットマン大学(ワラワラ)
の両方に受かったが、ワシントン大学は規模が大きくて、
学生数は自分が育ったハワイの田舎町の1.5倍
ということにビビってしまって、
ホイットマン大学へ進学することを決意した。


演劇と音楽のダブル専攻。
若いころは野心にあふれていたね。


(ワインの話しは後編にちゃんとでてきますので、しばらくご辛抱を…)


ホイットマンでは、2年目までは
オンキャンパスに住むというルールがあって、
寮またはキャンパス付近の、
大学が運営するシェアハウスでの生活が基本。

多文化、多人種の環境で育てられた自分、
せっかくの初体験なので、
なるべく色んな人との交流ができる住居を求め、
大学提供のシェアハウスのひとつ、
「マルチエスニック・ハウス」(トップ画像を参照)
を志願して、みごとに受理された。


そこには、白人、黒人、マレー人、中国人、ハワイ出身のフィリピン人など、
計8人が共同生活をおくっていた。


もちろん、お酒もあった。


(後編に続く…)



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