世界から注目浴びる
埼玉県秩父発ウイスキーメーカー<後編>

PICK UPピックアップ

世界から注目浴びる
埼玉県秩父発ウイスキーメーカー<後編>

#Pick up

肥土伊知郎さん by「ベンチャーウイスキー秩父蒸溜所」

ウイスキー業界の革命児と呼ばれる肥土伊知郎さん。彼はいかにして国内唯一のウイスキー専業メーカーを起ち上げたのか? そして秩父という風土に根ざしたウイスキーづくりとは?

文:Sayuri Tsuji

もともと肥土伊知郎さんの家は、秩父で江戸時代から続く造り酒屋。1941年には祖父が羽生市で蒸溜所を設立すると、80年には当時としては珍しかったポットスチルを導入し、伝統的な手法でモルトウイスキーをつくっていた。

「でも当時はオールドなどの飲みやすい水割りの全盛期。個性的なウイスキーはあまり求められていなかった。ウイスキーってこだわってつくるとどんどん個性的になるんですよ」

大学を卒業後、サントリーに入社。ところが、父親が祖父から引き継いだ東亜酒造の経営が悪化したため、96年に退社して父の会社を手伝うことに。

しかし、2000年に倒産。その後、東亜酒造は別の酒造メーカーに売却されたが、新オーナーはウイスキーに関心がなかったため、04年にポットスチルは撤去され、ウイスキー製造業からは撤退してしまった。

「廃棄が決まった熟成中の400樽相当のモルト原酒を見て、これを世の中に出すのが自分の役目だと思い、それから引き取り先を探しまわりました」

しかし、当時はウイスキーの消費量は減少する一方。どの企業もこれ以上在庫を抱えたくないという。

「途方に暮れていたときに、人づてに福島県の笹の川酒造さんがウイスキーの免許を持っていることを聞き、行ってみたんです。事情を話したら『業界の損失だから、うちの貯蔵庫を使いなさい』と言ってくれて、樽を貯蔵する倉庫を使わせてくれることになりました」

同時にイチローさんはベンチャーウイスキー社を立ち上げ、翌年ボトリングを開始。最初の商品名は、「Ichiro’s Maltシリーズ Vintage Single Malt 1988」。限定600本で、13,500円だった。

「秩父蒸溜所はまだ当時なかったし、羽生蒸溜所は人手にわたっている。いずれは自分の蒸溜所を持ちたいと思っていましたが、それまでのブリッジブランドとして、つくり手の名前をつけるのが一番思いが伝わると思い、イチローズモルトシリーズを立ち上げたんです」

ここからイチローさんのバー行脚が始まる。

「最初に決めたんです。資本金を全部飲み尽くしたらやめようって。それからは、1軒1軒バーを訪れて、バーテンダーさんに味をみてもらいました。最初に応援してくれたのはバーテンダーさんです。彼らはブランドではなく、味で判断してくれますから」

「ほぼ毎日、1日3軒から5軒まわりました。『個性強いけどおもしろいね、どこで買えるの?』と言ってくれる人、他のお店を紹介してくれる人。評価もしてくれるから、自信もついてきました」

とはいえ、羽生蒸溜所でつくられたウイスキーには限りがある。さらに、貯蔵年数が長いだけに、自分でつくらない限り未来はない。

「昼間は新しい蒸溜所設立に向けて動き回り、夜はバーテンダーさんたちに蒸溜所設立の夢を語りながら販売していった。秩父蒸溜所ができあがったときに、あるバーテンダーさんが『本当にできたんですね』と……。あとで聞くと、最初は、蒸溜所を自分でつくりたいという変なおじさんがいるなぁと思っていたそうです(笑)」

「僕の人脈はすべてバーで生まれたもの。06年に軽井沢蒸溜所で1ヶ月寝泊まりしながらウイスキーをつくらせてもらったのも、バーでメルシャンの方とウイスキー談義を楽しんだのがきっかけ。トランプをモチーフにしたラベルも、そうやってバーをまわるうちに知り合ったデザイナーさんと、バーで飲みながら打ち合わせしました。目の前にはサンプルがたくさん並んでますし……」

ラベルをトランプにした理由を、イチローさんはこう話す。

「中身にこだわりたかったんです。日本産のシングルモルトというと、日本を意識したデザインが多いですが、僕はあえて漢字も使わなかった。そうすれば、海外の人も“味”で選んでくれるのではないかと思ったんです。トランプにしたのは、4つの樽を開けるときだったから、4種類といえばトランプかな、と。樽ごとにラベルを決めていけば、自分が好きなのはハートのA、という感じで覚えてもらえますしね」

これまでの紆余曲折の日々のなかで、迷いはなかったのだろうか。

「ウイスキーは売れないということを言う人もいたんですが、実際にバーに行ってみると、モルトウイスキーが好きな人はたくさんいる。これだけ楽しむ人がいるのだから大丈夫だと思っていました」

「だけど、実はウイスキーっておもしろいなと思うようになったのは、サントリーを辞めてから。大手企業にいるときは、どうしても自社の製品を飲むことが多いから、中小メーカーのつくったウイスキーって、お買い得商品としてしか見ていなかった。自分でバーをまわるうちに、小さな蒸溜所でその土地の特徴を活かしてつくった風土の酒は、いい物になるんじゃないかと思うようになったんです」

イチローズモルトの象徴はドングリだ。ラベルにもあしらわれているし、イチローさんが来ているポロシャツの胸にも刺繍されていた。

「ドングリは、いずれはオーク(楢や樫の木)になる。ウチはまだドングリですが、いずれ大きく育ってほしいという願いを込めてつくりました。これを見るたびに初心に戻れるように」

ウイスキーの原材料となる麦芽は、粉砕する前、水に浸して発芽させるモルティングと呼ばれる作業も重要だ。モルトスターと呼ばれる製麦業者により、大量にモルティングされた麦芽を仕入れる蒸溜所が多いなか、イチローさんは、今年収穫された地元の二条大麦を使って、今ではほとんど行われなくなった手作業のフロアモルティングを試みるつもりだ。

「ここ2年、自分たちでフロアモルティングをやってみたんです。地元の大麦を使ったモルティングがうまくいったら、より秩父という土地の個性を持ったシングルモルトができあがると思います」

 秩父でつくられた大麦と水を使って、秩父の環境で熟成されたシングルモルト。いったいどんな味になるのか、今から楽しみだ。

SHOP INFORMATION

ベンチャーウイスキー秩父蒸溜所
368-0067
埼玉県秩父市みどりが丘49
TEL:0494-62-4601

SPECIAL FEATURE特別取材