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スティーブン

MYドリンク歴 パート1 とりあえずビール

10.04.14

えっ??
えぇぇえ??

髪の毛が多いだろう。汗
そんな時代だった…

これ、19歳の誕生日前ぐらいなので、
恐らく1979年の冬。



面影もありませんね。
(ブログ最初の投稿を参照…)



のびのびとハワイで
ヒッピーの親に育てられた、
4人兄弟の2番目で長男。





まじめだったわぁ~笑





自分のアルコール歴を
遡ってたどっていけば、
偶然にも「最初はビール」
だった。




日本との出会いはまだまだ
先の話しなのに、
その社会的習慣については
もうすでに悟っていたようだ。




当時(1970年代後半)のハワイの高校生は、
お酒よりも、もっぱらパカロロ※だった。

しかし僕はまじめな青年で、
お酒はおろか、パカロロなんてもってのほか。




とても忙しい高校時代。

吹奏楽団にブラス・クインテット。
マーチングバンド。
演劇部。
ディベート部(会長・4年間)。

典型的な文科系だった。







弟や姉と違って、不良の「ふ」の字もなければ、
ぐれるの「ぐ」の字もなかった。






そのためか、
最初に唇がお酒に触れたのは、
高校の卒業式の夜。





当時の実家は、高校のグラウンドが目と鼻の先。
うちのジャングルのような庭のフェンスを越えれば、
そこが高校、という立地。




なので、他の同級生(同じ4年生が720人も)と違って、
卒業パーティーはホテルなどで行わず、
うちでセルフプロデュース、ということになった。




(親父が12年間通った私立学校に行かされなかったのも、
高校がすぐそこにあったためだそうだ。ちなみに親父は、
オバマ大統領と同じ学校…笑)




姉や母親に手伝ってもらって、部屋を飾ったり、
豪華なブッフェスタイルの料理を振る舞い、
25人ほどの同級生や友人を招いた。



ダイニングテーブルの真ん中に、
キラキラ照明がついている3段の
卓上噴水まで(レンタルだが)。



(この辺はもしかして、いまと変わらない??)



当時のハワイの、法律で定められた
飲酒年齢は20才からだったため、お酒はなし。
(1986年に21歳に引き上げられたが)



なので、この時も飲もうとは思わなかったが…
(お酒について、大して興味もなかった?)



しかし、深夜になって、ほとんどのお客さんが帰ったあと、
友人一人だけが残っていた。



ダニエル・サカモトという、吹奏楽団の後輩。
僕はチューバ、彼はユーフォニアム。
なので、3年間ずっと隣同士。



うちの親がいないのを確かめてからダニエルくんが、

「車にプレゼントがあるんだ。」

と言って、一緒に外に出て、家の前に止めてあった車のところに。

「ほら、せっかくなので、一緒に飲もうよ」と、
差し出したのは、小瓶(300mlぐらい?)の8パック。

最近スーパーなどであまり見かけないが、
当時人気があった、ミラードラフトの「スタビー」(チビ瓶)。

「いやぁ、ビール飲んだことないので…」と、
戸惑うまじめくん。

「大したことないから、ほら、飲もうよ」と、
キャップを取ってビールを差し出すダニエルくん。



二人で車に乗って、
ビールを飲んだ。



全8本、クリア。



ダニエルくん、運転するのに…汗



かなりまわった、
ような、気がする。
多分。



アイルランド系の血が、
騒ぎ始めた。
ような、気がする。
多分。



先祖はギネスとジャガイモで
育てられたというので、
不思議もない。



暖かいハワイの夜。
楽しい卒業パーティー。
友人と飲む、ちょっとぬるいビール。



お酒って、いいよね…
と思った。






※パカロロ = ハワイ語で「マリファナ」のこと。

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