ミュンヘンの老舗カクテルバー発、
敏腕マネージャーの仕事術。
<前編>

PICK UPピックアップ

ミュンヘンの老舗カクテルバー発、
敏腕マネージャーの仕事術。
<前編>

#Pick up

那須孝光さん by「Pusser’s New York Bar」

ドイツ第三の都市、ミュンヘン。この街きっての人気バー、「パッサーズ ニューヨーク バー」のマネージャーを務めるのが日本人の那須孝光さんだ。ここを切り盛りする那須さんのマネジメント術をご紹介。

文:Ryoko Kuraishi

「世界で最も暮らしやすい街」上位ランキングの常連でもあるミュンヘン。

バイエルンアルプスの北側に位置する、ドイツ第三の都市、ミュンヘン。
BMWの本社が置かれるなど強力な経済力を持ちながら、作曲家のカール・オルフなど多くの音楽家や芸術家を輩出した芸樹の街という顔も持つ。
そしてもちろん、世界各地から100万人が訪れるビールの祭典、「オクトーバーフェスト」で知られるビールの街でもある。
市内には世界で最も有名なビアホール、ホフブロイハウスもある。


このミュンヘンで「ドイツ最古のカクテルバー」として愛されているのが、1974年に創業した「パッサーズ ニューヨーク バー」。
ヨーロッパではすこぶる有名なスポットであり、各国のロイヤルファミリーが訪れることも。
「シューマン バー・ブック」で知られるチャールズ・シューマン、「ビター トルゥス」創設者のシュテファン・ベルグもここで修業したという名店である。


週末ともなるとエントランスに行列ができる、ミュンヘン随一の人気バー。
7年前よりバーマネージャーとしてここを取り仕切るのが那須孝光さんだ。
高校卒業後、アメリカへ渡りピッツバーグの大学でスモールマネジメントという、小規模ビジネスにおけるマネジメント&マーケティングを学んだ。
卒業後はマンハッタンで就職が決まっていたものの、9.11を経て内定が取り消しに。
仕方なく日本に帰国、マネージャーとしてとあるレストランの立ち上げ業務に携わった。

平日も連日、満席となる人気店。ミュンヘンっ子のお目当てはクラシックなカクテルだ。

仕事自体は充実していたが、海外で自分の力を試してみたいという思いを捨てられなかったという那須さん。
3、4年が経ったある日、ドイツで和食店の店舗展開を考えているという実業家と知り合いに。
ドイツ語は全くできなかったというが、勝手のわかるアメリカではなくEUという新天地での挑戦に魅力を感じ、すぐに渡独を決めた。


初めてのドイツで、仕事終わりの楽しみが現地のバー巡り。
中でもいちばんのお気に入りが、「パッサーズ ニューヨーク バー」だった。
「初めてここに客として来店した時、ドイツ語はほとんど話すことができませんでした。
ですから、バーやレストランに行くと臆病になって、注文したいものやお薦めのモノ、地元で流行っているカクテルなどをなかなかヒアリングできなかったんです。
でも、このバーは別でした。
多国籍なスポットゆえ、完璧な英語を話せるバーマンがいて、その上誰でも包み込んでくれる様な抱擁力を感じたんです。


店内もクラッシックな造りで、ゆっくり会話を楽しむ空間がありました。
その頃、仕事ばかりでプライベートな時間を持てなかった私が、“落ち着ける場”を持った瞬間でした。
他のバーにも行きましたが、この感覚をもたらしてくれたのは『パッサーズ ニューヨーク バー』だけだったんです」

奥行きのないバーカウンターも「パッサーズ ニューヨーク バー」の特徴。ドイツ各地のバー関係者がサイズを測りに来るという。このカウンターのサイズがドイツのカクテルバーのスタンダードなのだ。

毎晩通っていたらオーナーに熱烈に口説かれ、「Yes!」と即答。
マネージャーとして入店することになった。


オーナーはアメリカ人で、パリの「ハリス ニューヨーク バー」出身。
のれん分けという形でミュンヘンに腰を落ち着け、「パッサーズ ニューヨーク バー」の前身である「ハリス ニューヨーク バー」を開いた。
その後、「パッサーズ ラム」のヨーロッパでの旗艦店にすべく店名を変更、現在に至る。


「このラムを飲むうち、その味わいはもちろんのこと、ラムの持つ歴史的背景、生産国や作り手によるによる味の違いなどの多様性、他のスピリッツにはない懐の深さにすっかり魅入られてしまいました。
しかもパッサーズ ラムは1979年に市場に登場したラムなんです。
自分も同じ年に生まれたもので、オーナーと話すうちに『自分はパッサーズを売るために生まれたに違いない』なんて、運命を感じてしまって」


もう一つ、「パッサーズ ニューヨーク バー」に決めた理由には、ミュンヘンがビールの街であるという事情もあった。
ビールの街で、あえてクラシックカクテルを提供する。
このシチュエーションで、自分のスキルや知識がどれだけ通用するのか、大いにやりがいを感じた。
EUでの腕試しとして、これ以上の舞台はない。

こちらがシグネチャー・カクテルの「ペイン・キラー」。オリジナルのホウロウのマグでサーブされる。

インターナショナルなバーに欠かせない英語のスキルと、円滑な組織作りを行うためのマネジメント力を求められて入店したものの、コミュニケーションには本当に苦労した、と那須さん。


「インターナショナルなバーなので、店内には常に数ヶ国語が飛び交っているような状態。
会話もドイツ語と英語がメインなんですが、その割合も6:4だったり2:8だったり、日々まちまち。
同じ商品でも言葉によって呼び方や表現が全然違うなんてこともままあるし、とにかく現場に出てあらゆるものを吸収するしかない。
そんな風に考えて乗りきりました」


そうやってカウンターに立ち、言葉や習慣を会得する間にも、マネージャーとしての役割をこなしていった。
「パッサーズ ニューヨーク バー」はミュンヘンでどんなバーであるべきか。
それにはスタッフも含めてどんな店作りを行うかが重要になる。
店作りで必要なのは、まずはボスや他のスタッフとの円滑なコミュニケーション。
ドイツ語ができない中で、前任のドイツ人マネージャーよりもさらに良い働きをして自分の知識や経験をアピールしなくてはならない。
そんなタフな状況を、那須さんは持ち前のポジティブな思考と、日本人ならではの「和の心」で打破していった。

「パッサーズ ニューヨーク バー」でサーブされるカクテル。日本に比べると量は若干、多め。それもドイツらしい。

那須さんがマネージャーとして心を砕いたのは、スタッフみんなが高いモチベーションを持って働ける職場づくりである。
バーテンダーがその技を追求できる場でありつつも、ビジネス感覚を忘れず、かつ、世界のあらゆる国から訪れる人に心地いい時間を過ごしてもらえる柔軟さを兼ね備えた、そんなバーを目指した。


那須さんがどんな店作りを行ったのか、後編では例をあげて紹介するとともに、那須さん流店作りの極意をご紹介しよう。


後編に続く。

SHOP INFORMATION

Pusser’s New York Bar
Falkenturmstraße 9,D-80331 München, Germany
TEL:+49 (0)89 220500
URL:http://www.pussersbar.de/welcome-to-pussers-bar.html

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