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<前編>

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山田高史さん by「Bar Noble」

昨秋開催された「世界カクテルコンペティション」で総合優勝を遂げたバーテンダー、山田高史さん。日本人バーテンダーの優勝は15年ぶりの快挙だとか。そんな山田さんの、バーテンダー人生をフィーチャー。

文:Ryoko Kuraishi

ポーランドで行われた「世界カクテルコンペティション」での山田さんのパフォーマンス。美しい所作も評価され、ベストテクニカル賞をも受賞。

2011年11月にポーランドで開催された「世界カクテルコンペティション」(I.B.A.主催)。


I.B.A.(The International Bartenders Association) 、国際バーテンダー協会とは
飲料文化の世界的な発展、バーテンダーの国際交流などを目的に1951年英国にて発足した、バーテンダーによるバーテンダーのための組織である。
そのI.B.A.が主催する、華やかなバーテンダーとカクテルの祭典、それが「世界カクテルコンペティション」だ。
参加加盟国も多く、最も権威あるカクテルコンペティションのひとつと評されている。


今回、56カ国から参加したバーテンダーの頂点に立ったのは日本人バーテンダーの山田高史さんであった。
カクテルの味や外観を競う「ファンシー部門」で部門優勝、さらに各部門優勝者で競う決勝でも見事に優勝。
さらにベストテクニカル賞とベストネーミング賞も受賞したというスゴ腕の持ち主だ。


Bar Nobleのオーナーバーテンダーの山田さんは、ケータリング会社を経営する企業人でもある。
バー経営の傍ら、バーの「ケータリング」、そして思い出作りに寄り添う「ビバレッジ・クリエイト」という新しい業態を打ち出している。


もともとは「頭の先から爪の先までどっぷり、バーテンダーです」と笑う山田さん。
ケータリング会社を始めたのは「バーテンダーがどれだけ社会に必要とされるのか、模索していきたいから」だとか。
バーテンダーを、いつか世間の「憧れの仕事」にするために。
待っているだけじゃなく、積極的に打ち出す。それが山田さんの考えだ。


そんな山田さんのバーの原風景は、小田原にある小さなバー。
まだ子どもと言えるくらい若い時分、先輩に連れて行ってもらったと言う。
そのとき口にしたのは「バイオレットフィズ」。
カクテルの繊細な味わい、香り、バーが醸し出す雰囲気は、
山田さんに「大人の世界」に足を踏み入れたことを実感させた。


「たまたま実家にシェーカーがあったんです。
祖母が祖父にカクテルを作ってあげていたんですね。ですからカクテルは割に身近なものでした」
初めてのバー体験に感銘を受けた山田さんはカクテルブックを買い、リキュールを揃え、
ホームバーでサイドカー、ホワイトレディなどスタンダード・カクテルを試すように。


当時からバーテンダーになりたい気持ちは強かったが、周囲の反対もあってひとまず昼の仕事を続けていた。
それでもバーへの想いは断ち難く、昼の仕事の傍ら週に3回、バーで働いていたとか。

店内には山田さんのコンペティション歴を物語る、トロフィーやメダルが。

昼と夜のかけもち、そんな生活が4年も続き、ある日転機が訪れる。
「同い年の知り合いのバーテンダーが関東ジュニアカクテルコンペティションで
金賞を受賞したんです。
こんな、昼の仕事の片手間でやっていてはだめだと目覚めました」


昼の仕事を辞め、バーテンダー一本に絞り腰を落ち着けようとした矢先、いきなり店長に就任することに。
オーナーにレンタル料を支払い、仕入れから自分で行った。
若いながらもマネジメントに対して理解を深められた、かけがえのない経験だったとか。


店長を経験後、元々の希望であった銀座での修行を経て、
横浜で自らのバー、 Bar Acqua Vitaeをオープン。
念願のオーナーバーテンダーになった。20代半ばのことである。


こちらも店長時代同様、軌道に乗せるにはかなり時間がかかったそう。
「一年間修行した銀座のスタイルをそのまま踏襲しました。
まだ若かったし、頑なだった。
もしかしたら横浜のニーズにそのスタイルはマッチしていなかったかもしれない、
でも自分がこだわるスタイルは貫こうと思って」


やがてこだわりが実を結ぶ。
銀座仕込みのオーセンティックなスタイルが、少しずつ浸透していったのだろう。
「どんなに閑古鳥が鳴いていようとスタイルを変えようとは思いませんでした。
お客さまの立場になって自分のバーでカクテルを飲んでみたりもしましたが、
客観的な視点に立って考えてみても、いまやっていることが間違っているとはどうしても思えなかった」

シェルフや照明などアールヌーボーにこだわった店内。

Acqua Vitaeを軌道に乗せた山田さんは2004年に二号店のBar Nobleをオープン。
Acqua Vitaeはジャズが流れる店だが、こちらはクラシックがメイン。
フレンチのシェフを迎え入れた、正統派フレンチを食べられるバーだった。


「東京だったらともかく、横浜では難しいコンセプトだったかもしれません。
レストラン的な感覚とバーの客層のずれを埋められませんでした」
1年半後にフレンチは断念し、バーとして再出発してみたものの、景気はなかなか上向きにならない。
回復の兆しが見え始めたのは2、3年後。とある大会がきっかけだった。


そうして試行錯誤している間にも、コンペティションには根気強く参加し続けていた山田さん。


コンペティションに参加するのは自らのバーテンディングを磨くため。
大会という期限の決まった目標に向けて努力をすることは、
スキルを磨くということはもちろん、気づきを得るという点でも実り多い。
自分の至らぬところ、インスピレーション源、自分なりの美意識。
もちろん普段顔を合わせることのない、遠方のバーテンダーと交流を図れるというお楽しみも。


初めて全国大会に出場したのが2009年、東京で開催された大会だった。
優勝まではいかないものの、優秀な成績を収めた山田さんは気鋭のバーテンダーとして認知されるようになる。
折しも横浜は開港150年という節目の年を迎え、メディアの注目も集まっていた。
そんな風潮も味方して、山田さんの店は度々取材されるようになったとか。


露出が伴うにつれて店の経営も軌道に乗り、
さらに翌年の2010年には「全国バーテンダー技能競技大会」で念願の初優勝を遂げる。
初めて参加した国際大会である「アジアンカクテルチャンピオンシップ」では
アジア各国から集まった40人のバーテンダーのトップに立った。


「初めての国際大会ですから、とにかく見ること聞くこと、すべてが刺激的。
国内のコンペティションは静粛なムードですが、海外の大会は音楽もアップテンポだし観客もノリノリ。
国内と海外ではずいぶん違うんだということを実感しましたね」


それを受けて昨年秋、「世界カクテルコンペティション」に初参加した。


後編に続く。


SHOP INFORMATION

Bar Noble
231-0041
横浜市中区吉田町2-7
VALS吉田町1F
TEL:045-243-1673
URL:http://noble-aqua.com

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