福西英三先生と
銀座で赤裸々バートーク!
<前編>

PICK UPピックアップ

福西英三先生と
銀座で赤裸々バートーク!
<前編>

#Pick up

福西英三さん

洋酒業界の権威として知られる福西英三先生。5年前に完全引退を決めた先生だが、その軽妙洒脱な語り口は変わらず健在だ。今晩、どりぷらのためだけに、60年に渡る洋酒人生を語っていただこう。

文:Ryoko Kuraishi

集合したのは午後4時、銀座3丁目にある「バー ジロンド」にて。ボルドーを愛するオーナーが厳選したワインと料理が楽しめる。まずは白ワインで乾杯!

酒文化に携わるものでその名を知らぬものはない、洋酒業界の権威、福西英三先生がどりぷら初登場。
サントリーフードビジネススクールにて長きに渡って教鞭をとり、またバーテンダー協会編集局長を務めた経験から酒にまつわる著書も多数。
10年ほど前までは国立民族学博物館の研究員もなさっていたという福西先生。


文芸、歴史、科学に民俗学、あらゆるジャンルの情報を縦横無尽にミックスしちりばめた、酒にまつわるエッセイには、どりぷら編集部内でもファンは多い。
今回は先生をお迎えし、銀座でバー・ホッピング!


まずは「バー ジロンド」で白ワイン、「バー保志 モンス レックス」ではシェリートニックを、そして「バー オーチャード 銀座」では大好きなマルベック種の赤ワインをいただきながら思い出話、大好きなバーのこと、ミクソロジー、そしてこれからのバー業界に思うことなどを語っていただいた。

ワインにも一家言あり!福西先生のお好みは「ボルドーから追放されアルゼンチンで生きながらえた品種、マルベック」。

リキュールの世界に携わって

DRINK PLANET(以下、どりぷら)
福西先生こんばんは。
今日は約60年に渡る、先生とお酒の付き合い方を伺いたいと思います。
そもそも、先生がお酒に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか?


福西英三先生(以下、福西)
僕は北海道、旭川出身。6人兄弟の長男です。
といっても長男らしいことは何にもできなかったのですが(笑)。
実家は会津から北海道へ渡った商家でした。
その頃は東北地方から北海道へ希望を託して入植する人が多かったんです。


そうそう、祖父の兄は会津の造り酒屋、小檜山の養子となり、その結果、旭川で日本酒の造り酒屋を始めました。現在では「国士無双」という酒を作っております。
ここだけの話、僕だったら「国士無双」という名前は絶対につけないけれどね。
というわけで、僕の体には小檜山博(注:北海道生まれの小説家、両親は会津喜多方出身)の世界観が染み付いているんでしょうね。


それはさておき、旧制高校を卒業し早稲田大学の第二文学部英語英文専修に合格して上京しましたが、いかんせん下に5人も弟がいるものですから実家からの仕送りも望めず、学生時代はアルバイトをせざるを得なかったのです。
そのアルバイト先が浅草のキャバレーでした。
バー営業がやっと公的に認められるようになったころで、当時の浅草には大きいハコが3つくらいありました。
勤め先はそのうちのひとつです。
2、3日はドアボーイをやっていましたがオーナーに認められ、いつの間にかバーのチーフになっていました。


とは言ってもカクテルなんか作れませんから、浅草の別のキャバレーにいた同郷のバーテンダーがいろいろ教えてくれまして。
それが先日引退した、三笠会館の稲田春夫(注:三笠会館「Bar 5517」の名物バーテンダー)です。
彼が教えてくれたおかげで、リキュールの世界にどっぷりと関わるようになりました。
同郷ということもあって、稲田と僕は気が合いましてね。

「バー ジロンド」のあとは、「古い付き合い」というバーテンダー、保志さんの店「バー保志 モンス レックス」へ。

福西
在学中はそんなこんなでアルバイトに明け暮れ、稲田が浅草のトリスバーを紹介してくれまして、本格的にバーテンダーの道へ進むことになりました。
その頃からサントリーとは不思議な縁があったんですね。
上京して最初に飲んだ酒が赤玉ポートワイン、最初に作ったカクテルがトリスハイボールでしたから。
とにもかくにも、事務仕事をやるよりもバーテンダーのほうが格好いいと思ったんです。


浅草から北千住のトリスバーへ移り、次に八重洲口のトリスバーへ、そして稲田が自分の店、「バー稲田」を開店したのでそこの手伝いをしたりして、昭和37年、32歳になったとき、僕もついに浅草に「鶴」というバーを開きました。
カウンターだけ、12人も座ればいっぱいになってしまう小さなバーです。


八重洲口のトリスバーには俳人の石田波郷(注:戦後の俳句文学に多大な影響をもたらした昭和期の俳人)がよく遊びに来ていたんです。
とにかく彼に惚れ込みまして、僕も俳句を始めてね。
彼が主宰する俳誌が『鶴』と言いまして、許可を得てその名前を僕の店名にお借りしました。
開店にあたって波郷が色紙に絵を描いてくれましてね、嬉しかったなあ。


石田波郷は当時、朝日新聞の俳句の選者をやっておりまして、週に1回、朝日新聞社に通っていたんです。
彼は下町が好きで、朝日新聞社の帰りには必ず、うちに寄ってくれました。
開店前なんですが、午後の4時半くらいにはもう来ちゃう。
で、「掃除を手伝ってやるよ」って。
懐かしいですね。

初めて開いた自分のバー、「鶴」の思い出

どりぷら
文化人のお客さまが多かったんですか?


福西
当時はもう、俳人と落語家しかいなかったですね。
あとは芸者の彼氏とかね。


落語家はね、僕の俳句仲間が浅草の演芸ホールでの高座の帰りに柳家小さん(5代目)を連れてきまして、それからの付き合いです。
あとは編集者やテレビマン、それに作家や芸人にもよく足を運んでもらいましたね。
芸人をカウンターに立たせてシェーカーの振り方を教えたり、昼間はサントリースクールの講師を務めたりと、まあ好き勝手にやっていました。


そんなこんなで「鶴」は10年続きましたが、サントリースクールの常勤講師にならないかというお誘いを受けて店をクローズしました。
サントリースクールは平成5年まで関わりましたから、ずいぶん長い付き合いになりましたねえ。
サントリーを辞めたときは63歳になっていたんですが、別なところからお誘いがありまして、またまた酒の教育に携わることになりました。


そこを辞した後もたまに講演などのお話をいただいていましたが、5年前、家内が亡くなってがっくりきてしまいまして。
結局、身辺を整理して完全に引退することにいたしました。
酒にまつわる蔵書も雑誌を含めて900冊くらいあったのですが、すべて三笠会館に預けてあります。
いまは地下のバーで高坂くん(注:「Bar 5517」支配人の高坂壮一氏)が管理してくれていますよ。
中には『サヴォイ・カクテルブック』の初版本もありました。
高坂くんには要望があれば貸し出してもらってかまわないと話してあるので、いつか誰かの役に立ってくれたら僕としても嬉しいかぎりです。

「バー保志 モンス レックス」では店長の小山さんにシェリートニックを作っていただく。スタッフとも話が弾む福西先生。

世界を巡って見つけた、とっておきのバー

どりぷら
世界中のバーを巡ってこられた先生ですが、とくに思い出のあるバーについて教えてください。


福西
バーの語源は「棒」です。
その「棒」を幅広くしたバーカウンター、これこそバーテンダーの仕事の基本と思っていますので、飲み手として訪れたときもやっぱりカウンターで飲むのが好きです。
で、このくらいの(と、「モンス レックス」のカウンターを指し示す)カウンターがあるヴェネツィアの「ハリーズ・バー」はお気に入りのバーのひとつ。
ご存知のように、フレッシュなピーチのベリー二で有名なバーです。
僕はベリー二が大好きで、ベリーニを飲むためにイタリアへ旅したこともあるんですが(笑)、「ハリーズ・バー」は洒落たグラスではなく、安定感のある小さなグラスでサーブしてくれる。
それがまたいいんですね。


印象に残っていることとえいば、IBA(国際バーテンダー協会)のコンペのために「ハリーズ・バー」のバーテンダーが来日した際、日本の桃を食べてそのおいしさに感激したんですね。
コンペが終わってみんなで一杯飲んで帰ろうというときに、彼が酒ではなく桃をオーダーしていたことが印象的でした。


以来、あそこのベリーニは旬のピーチをペーストにして凍らせておき、一年中同じ品質のピーチを使うようになったとか。
いつもフレッシュだからいいという訳じゃない、おいしい桃に出合って自らのベリーニに工夫を凝らしたんですね。


あとは名前を忘れましたがバルセロナにある、シェリーのカクテルを飲ませてくれるバーとか、アメリカだったらバーボンのカクテルとか、やっぱりその土地の風土・気候を感じさせる酒を大切にしたバーがいいですね。


どりぷら
なるほど、「旅する」ということはやはりその土地の風土を巡ることなんですね。
その土地のお酒で風土を味わい、感じながら各地を旅する。
そんなスタイルに先生のお酒への愛情がひしひしと感じられます。
日本のバーではどうでしょうか?


福西
日本にはたくさんありますよ!
今日訪れた3軒(「バー ジロンド」、「バー保志 モンス レックス」、「バー オーチャード 銀座」)はいずれも僕の好きなバーです。
それに加えて、飲食業従事者のホスピタリティでいえば新宿にある「カイテル」、渋谷2丁目の「エル・カステリャーノ」はいい店ですね。


厳密にいえばどちらもバーではありません。
でも僕はバーと同じような使い方をしています。
座っておいしいワインを出してもらって、小さなつまみを味わう。


「カイテル」のオーナーはドイツ人、「エル・カスティリャーノ」のオーナーはスペイン人。
日本人が言うホスピタリティと外国人のホスピタリティはニュアンスが異なりますが、このふたりは日本人以上に日本的なホスピタリティを持っていると感じます。


「エル・カスティリャーノ」のオーナーはスペインの農村育ちで、ロンドンに渡ってホテルのバーでバーテンダーとしてばりばり活躍していたんですが、トラファルガー広場でとある日本人女性に一目惚れしちゃったんです。
で、帰国した彼女を追っかけてロンドンのホテルを辞して日本まで来ちゃった。
そういう情熱的なバーテンダーは日本ではあんまり聞きませんね。
でも僕はそんな彼の生き方が大好きなんです。


後は成田一徹(注:切り絵作家)の著書でも紹介されている、松山にある「露口」。
夫婦でやっているバーなんですが、奥さんはサントリーのカクテルコンペで入賞経験のある強者です。
それから小山薫堂さんが関係している、東京タワー近くにある看板のないバー。
あそこのバーテンダー、久芳尚史くんは日本一のバーテンダーと思います。
バーテンダーにとって当たり前のことのようですが、その場で言っていいこととわるいことの線引きがとてつもなくうまい。
その線引きの案配こそが、ホスピタリティなんじゃないかと僕は思うんですが。


どりぷら
バーにおけるホスピタリティとは何ぞや。
その命題についての先生のご意見は、バーテンダーなら誰しもがも気になるところではないでしょうか。
後編ではそのあたりをじっくりと伺いたいと思います。


後編へ続く。

SPECIAL FEATURE特別取材